終焉の地・赤倉


一年の半分を海外で、もう半分を日本で過ごすようになり、 日本美術院を茨城県の五浦に移動してからも、 日本美術院の崩壊の危機は続いていた。
天心自身も糖尿病の悪化などで、体調は万全ではなかったが、 ボストンの仕事で相変わらず中国やインドへと海外へ行っていた。
弟子の菱田春草が眼病にかかり、 田舎であった五浦では治療ができず東京へと引っ越したり、 横山大観の家が家事で燃えてしまったりもした。
 
しかし文展では病気の療養をしながらも菱田春草の『落葉』など素晴らしい作品が出展された。
 
天心は仕事の滞在先でプリヤンヴァダ・デーヴィという女性に出会い一目ぼれをした。
現実には一ヶ月もしないうちに二人は離れてしまったが、 二人は強く惹かれあっていたため、別れたあとも手紙のやり取りを続けた。
 
その後、体調が悪化してしまってからも天心は家族や弟子のために ボロボロの身体で立ち上がって奮闘した。
しかし、それは更なる体調の悪化を招く結果となってしまった。
 
病気の治療のために天心は赤倉へと移ることになる。
赤倉は不便なところであったが、それは天心が弱った自分を 誰にも見せたくないという気持ちがあったからだった。
妻、妹、娘に付き添われての赤倉の生活でも慢性腎臓炎による尿毒症は回復せず、 天心は静かにその生涯を閉じた。

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