晩年の活躍


天心はボストン美術館からの仕事でアメリカ以外の海外へも行くことが多かった。
あるとき天心は中国美術品を買い集めるという以来を受けて、 13年ぶりに中国へと渡った。
久しぶりに来た中国は以前とすっかり変わってしまっていたが、 ボストン美術館から支給される豊富な資金のおかげで 良い美術品をたくさん買うことができた。
 
その後も天心はボストン美術館の仕事でヨーロッパにある 美術館の東洋部門の視察などを頼まれ、海外を飛び回った。
ルーブル美術館を訪れた際には、 偶然同じく視察で来ていたアーノルド・フェノロサと再会をした。
天心もフェノロサも再会を喜び、日を改めてまた会おうという話になったが、 会うことができず、ヨーロッパ視察旅行中にフェノロサは亡くなってしまい、 二人が会ったのはこれが最後になってしまった。
 
明治40年には文展と呼ばれる文部省の美術展覧会が開催された。
天心はそこで牧野伸顕(天心の力を見抜き、審査委員に推薦をした人物) や橋本雅邦らの勧めで文展に参加した。
また日本美術院から天心以外にも横山大観、 下村観山などが審査委員として選ばれ、文展は開かれることとなった。
菱田春草は審査委員としては選ばれなかったが、作品を出品するなどした。

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