インド視察旅行


順調に見えた日本美術院も『朦朧体』が世間に 受け入れてもらえなかったことなどから経営も悪化し、 事実上の崩壊にも等しい状況となってしまった。
そんなときに気分転換を兼ねて天心は 以前から関心のあったインドへと視察へ行った。
 
旅先で天心は「東洋の理想」という本を完成させ、 その書き出しである『Asia is one』という言葉は インドの人々に衝撃を与えた。
この本はやがてアメリカ、フランス、ドイツなどでも 翻訳されて出版され日本語で訳されるのは一番後で38年後となった。
この本によってアジア文明史科としての 天心の名は国際的に広く知られるようになった。
 
インド在中にはティペラ王国というところに世話になった。
ティペラ国王は東洋の古美術に強い関心を持っており、 宮殿の内装を天心に任せたいという話をした。
インドから帰国した天心は、弟子である横山大観と菱田春草を インドに送ったのだが、当時英国政府の統治下にあったティペラ王国は、 英国政府役人の手によって宮殿の内装を英国美術家にやらせてしまっていた。
横山大観と菱田春草はインドで仕事がなくなってしまったが、 二人はインド視察に切り替え、展覧会も開いたところ大成功を収めた。
しかし大観と春草が帰国するころには、戦争の影響もあって、 社会は芸術に関心を持つどころではなくなっており、 日本美術院は極度の財政難に陥っていた。

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