失脚


このころ九鬼の家を飛び出してきた波津子夫人は 天心の家の近所に住まい、再び天心と初子夫人は恋に落ちてしまった。
これによって天心の妻・基子は怒り、長男・一雄を連れて家を出た。
生活環境が荒れていき、やがて天心は酒に溺れるようになってしまい、 浜尾新らが心配して基子を説得し、事態を収めることとなった。
 
しかしこの一連の出来事は天心に京都転任などをさせれて 逆恨みをしていた福地俊一によって新聞社などに怪文書を回されて、 天心の失脚へのきっかけとされてしまった。
信頼していた福地に裏切られ、天心は恩を仇で返された。
 
東京美術学校を辞職した天心に続いて、34名の教職員が辞職願いを出した。
学校の危機に文部省は、慌てて引き止めたがそれでも17名が辞めてしまった。
一緒に辞めたのは、橋本雅邦、下村観山、横山大観、新納忠之助、寺崎広業、菱田春草らである。
 
天心の失脚には怪文書の事件の他に日本美術界の変化もあった。
天心が考える東洋の美術に関するものと、 政府が考える西洋の美術に関するものの違いなどである。
帰ってきてくれた妻・基子の病気や中根津の家が 家事にあってしまうなど不幸も続いたが、 一緒に東京美術学校を辞めてくれた仲間の協力もあって 明治31年に湯島天神前に「日本美術院」を創立することができた。

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