図画取締掛


明治18年、新しい官立美術学校設立に向けての準備が始まる。
文部省に図画教育調査会が置かれ、やがて図画取締掛となり、 それは日本初の美術学校の母体となった。
鑑画会を開き、狩野芳崖の協力で総理大臣であった伊藤博文を呼ぶなどをした。
それによってフェノロサと天心は美術取調委員としての地位を確立し、 欧米各国への出張を許された。
 
欧米各国での美術、工芸学校や美術館の機構・運営の調査が目的である。
まずアメリカに渡ったフェノロサと天心は、 ボストン、ニューヨーク、ワシントンなどの美術教育の実態を調査した。
それからヨーロッパへと渡り、フランスのリヨン、 チューリヒ、チロル、ウィーンなどを順に回ってイタリアへと移動する。
 
この旅を通じて天心は、西欧での美術に関する認識を改め、 日本は日本の良さを育てるべきだという確信を得た。
 
フェノロサの長男がヨーロッパ視察の間に亡くなったという知らせを受け、 二人はアメリカへと戻る。
アメリカへ戻った天心は渡米していた九鬼夫妻に会い、 妊娠していた九鬼の妻・波津子と一緒に帰国した。
天心は帰国する長い船旅の中で一緒だった波津子夫人に恋心を抱くが、 天心にはやらなくてはならないことが山ほどあるという状況だった。

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