東京へ


ある日父親と出かけた天心は、 看板の文字が読めないことに気がついた。
天心はバラ塾に通うことで英語は習っていたが、 普通の子供のように寺子屋で日本語を習ってはいなかったのである。
父親はこのままではいけないと思い、バラ塾を継続しながらではあるが、 長延寺で勉強をすることにさせた。
それからの天心は長延寺に預けられるようになり、 一日のスケジュールは午前中は寺で漢学、 午後はバラ塾で英語を習うというようになった。
 
明治6年、廃藩置県に伴い、実家である 「石川屋」は店じまいをしなくてはならなくなった。
天心の家族は東京の日本橋に引っ越して旅館業を営むことになるのだが、 父親は53歳からの再スタートを見事に成功させた。
そんな商売人である父親の姿を見て天心は心から尊敬をした。
東京への引越しの際には、里子として出されていた天心と妹の蝶子も一緒だった。
 
横浜から引っ越したのをきっかけに、 神田一ツ橋の官立東京英語学校に入学したのだが、 幼少のころから英語を学んできた天心にとっては、 レベルの低さを感じるほどであった。
長延寺のころから学んできた漢学も独学で継続していくのたが、 兄である港一郎に教わることになる。
港一郎は病気のため寝たきりであったが、 幼い頃から書物をたくさん読んできたので素晴らしい知識を持っていたのである。

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