出生


岡倉天心(おかくら てんしん)。
本名・岡倉覚三(おかくら かくぞう)。
 
岡倉天心は1862年(文久2年) 横浜で福井藩士出身の貿易商店主・岡倉覚右衛門の次男として誕生した。
母親は野畑という福井の女性である。
 
1862年に生まれた人物は森鴎外など。
内村鑑三よりも一年遅く、志賀重昂よりも一年早い生まれであり、 1860年代の生まれだと夏目漱石や幸田露伴などがいる。
 
天心の本名である『覚三』は、 父親が仕事が忙しすぎて名前を付ける余裕もなかったこと、 母が出産した場所が店の角の蔵だったことから、 とりあえず「角蔵(かくぞう)」と名づけたものであり、 後年になってから本人が『覚三』と書き換えた。
 
岡倉覚右衛門と妻・野畑の間には兄弟が4人おり、長男は港一郎、 次男は覚三、三男は由三郎、末の妹は蝶子であった。
長男の港一郎は病弱だったため夭折。三男の由三郎は高名な英文学者となり、 末の妹の蝶子は東京美術学校彫刻家教授の山田鬼斎の妻となった。
 
また、父親である岡倉覚右衛門には前妻・みせとの間にも4人の娘がおり、 横浜進出の際に呼び寄せて手元で養育していた。
 
岡倉天心の実家は横浜で「石川屋」という生糸を売る店を 父親と母親で営んでおり、 海外に開かれた港を持つ横浜という土地柄のおかげで 外国人相手に身振り手振りで商売をしていた。

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